2021.10/11 [Mon]
紅葉真っ盛りの岩手の名山:栗駒山・早池峰山(おまけ)
2021年10月8日(金)
奥州平泉・宮沢賢治ゆかりの地の観光
最終日は、夕方まで奥州平泉と花巻周辺の観光に充てる予定である。
天気はあまり芳しくなく、午前中は曇りがちで時々雨模様の予報が出ている。
朝食後、午前8時半ごろ宿を出る。
宿のすぐ近くの景勝地「厳美渓」に立ち寄る。
一関市の観光案内では、厳美渓について「栗駒山から一関市内へと流れる磐井川の浸食により、ゆっくりと時間をかけて形成された国の名勝、天然記念物・厳美渓。エメラルドグリーンの水流に奇岩、巨岩、甌穴、深淵、滝など、約2kmにわたり「静」と「動」の渓谷美が続きます。」と記されている。
一枚岩の岩盤の上を歩いて展望台までいく。

展望台から眺めると、磐井川の流れにえぐられた深い淵には小滝などもかかり、なかなか見応えのある渓流美である。

厳美渓観光後、平泉まで車で20分ぐらい走り、最初に「毛越寺(もうつうじ)」を観光する。

毛越寺は、850年慈覚大師によって開山され、平安時代後期に奥州藤原氏、二代基衡と三代秀衡が金堂円隆寺、嘉祥寺など壮大な伽藍(がらん)を造営したとされる。

現在は、「大泉が池」を中心とする「浄土庭園」と、平安時代の伽藍遺構がほぼ完全な状態で保存されており、国の特別史跡に指定されている。

池の周りをゆっくりと廻って鑑賞した後、午前10時ごろ車で5分ほど先の「中尊寺」に行く。

両側に杉の大木が立ち並ぶ急坂の「月見坂」を上り、途中弁慶堂や本堂に立ち寄る。
その先では左側の階段の奥に有名な「金色堂」が建っている。

覆堂(鞘堂)に覆われた金色に輝く国宝の金色堂内には、本尊の阿弥陀如来像を中心として沢山の脇侍が祀られている。
須弥壇の中央に奥州藤原氏の初代清衡、左に二代基衡、右に三代秀衡の遺体と四代泰衡の首級が安置されている。

(中尊寺HPより)
金色堂の横には、俳人松尾芭蕉が「奥の細道」の旅で読んだ有名な「五月雨の降り残してや光堂」の句碑が建っている。
中尊寺を観光した後、駐車場横にある店で名物の「ずんだもち」を買う。
搗きたての柔らかい餅にまぶした大粒に潰した大豆の甘さがからみ絶妙の味である。
車に乗り込み、5分ほど先の源義経最後の地「高館」にある「義経堂」に立ち寄る。

北上川に面した丘陵にある高館は、判官館(ほうがんだて)とも呼ばれ、兄頼朝に追われた義経が、三代秀衡の庇護で居館を与えられたところである。
しかし、頼朝の強い要請を断り切れなかった四代泰衡により攻められ、最期を遂げた地である。

高館のすぐ下を流れる東北の大河「北上川」や対岸に聳える束稲山(たばしねやま)を仰ぎながら往時を偲ぶ。

義経堂と反対側に歩いていくと、奥の細道の名作「夏草や兵共が夢の跡」の句碑が建っている。

高館を後にして東北道で花巻まで戻り、午後2時前、郊外の高台にある「宮沢賢治記念館」を見学する。

宮沢賢治の科学、芸術、宇宙、宗教、農業観に分かれた展示を鑑賞しながら館内をゆっくりと見学する。
見学後、外にある賢治の童話「注文の多い料理店」にちなんで名づけられた「山猫軒」のレストランで遅い昼食を摂る。

昼食後、横にある花巻市街や昨日登った早池峰山が見える展望台に行く。

天気がよければ遠くには岩手県の名山「岩手山」も見えるそうである。

記念館を後に、花巻空港への帰途、農学校を退職した賢治が農民たちを集めて農業技術や農業芸術論などを講義するために設立した「羅須地人協会」へ立ち寄る。
現在は県立花巻農業高等学校地内に移築復元されている。
残念ながら、コロナ禍のため、現在は閉館されており、フェンスの外から見学するだけである。


今日の観光をすべて終了し、午後3時半過ぎ、花巻空港へ戻る。
FDA17:30発の飛行機に乗り、午後6時半過ぎ名古屋空港へ無事到着し解散する。
今回は、出かける前から天気を心配しながらの山行であった。
しかし、幸いなことに栗駒山、早池峰山とも大した雨にも降られず、時々薄日も差す天候に恵まれ、予定通りの山行が出来た。
東北の山の紅葉ともに、下山してからのいで湯も楽しめた山行であった。
また、最終日に歩いた奥州藤原氏ゆかりの平泉と花巻の宮沢賢治ゆかりの地も久し振りに訪れ、懐かしい思いで巡ることが出来き、楽しい旅であった。
奥州平泉・宮沢賢治ゆかりの地の観光
最終日は、夕方まで奥州平泉と花巻周辺の観光に充てる予定である。
天気はあまり芳しくなく、午前中は曇りがちで時々雨模様の予報が出ている。
朝食後、午前8時半ごろ宿を出る。
宿のすぐ近くの景勝地「厳美渓」に立ち寄る。
一関市の観光案内では、厳美渓について「栗駒山から一関市内へと流れる磐井川の浸食により、ゆっくりと時間をかけて形成された国の名勝、天然記念物・厳美渓。エメラルドグリーンの水流に奇岩、巨岩、甌穴、深淵、滝など、約2kmにわたり「静」と「動」の渓谷美が続きます。」と記されている。
一枚岩の岩盤の上を歩いて展望台までいく。

展望台から眺めると、磐井川の流れにえぐられた深い淵には小滝などもかかり、なかなか見応えのある渓流美である。

厳美渓観光後、平泉まで車で20分ぐらい走り、最初に「毛越寺(もうつうじ)」を観光する。

毛越寺は、850年慈覚大師によって開山され、平安時代後期に奥州藤原氏、二代基衡と三代秀衡が金堂円隆寺、嘉祥寺など壮大な伽藍(がらん)を造営したとされる。

現在は、「大泉が池」を中心とする「浄土庭園」と、平安時代の伽藍遺構がほぼ完全な状態で保存されており、国の特別史跡に指定されている。

池の周りをゆっくりと廻って鑑賞した後、午前10時ごろ車で5分ほど先の「中尊寺」に行く。

両側に杉の大木が立ち並ぶ急坂の「月見坂」を上り、途中弁慶堂や本堂に立ち寄る。
その先では左側の階段の奥に有名な「金色堂」が建っている。

覆堂(鞘堂)に覆われた金色に輝く国宝の金色堂内には、本尊の阿弥陀如来像を中心として沢山の脇侍が祀られている。
須弥壇の中央に奥州藤原氏の初代清衡、左に二代基衡、右に三代秀衡の遺体と四代泰衡の首級が安置されている。

(中尊寺HPより)
金色堂の横には、俳人松尾芭蕉が「奥の細道」の旅で読んだ有名な「五月雨の降り残してや光堂」の句碑が建っている。
中尊寺を観光した後、駐車場横にある店で名物の「ずんだもち」を買う。
搗きたての柔らかい餅にまぶした大粒に潰した大豆の甘さがからみ絶妙の味である。
車に乗り込み、5分ほど先の源義経最後の地「高館」にある「義経堂」に立ち寄る。

北上川に面した丘陵にある高館は、判官館(ほうがんだて)とも呼ばれ、兄頼朝に追われた義経が、三代秀衡の庇護で居館を与えられたところである。
しかし、頼朝の強い要請を断り切れなかった四代泰衡により攻められ、最期を遂げた地である。

高館のすぐ下を流れる東北の大河「北上川」や対岸に聳える束稲山(たばしねやま)を仰ぎながら往時を偲ぶ。

義経堂と反対側に歩いていくと、奥の細道の名作「夏草や兵共が夢の跡」の句碑が建っている。

高館を後にして東北道で花巻まで戻り、午後2時前、郊外の高台にある「宮沢賢治記念館」を見学する。

宮沢賢治の科学、芸術、宇宙、宗教、農業観に分かれた展示を鑑賞しながら館内をゆっくりと見学する。
見学後、外にある賢治の童話「注文の多い料理店」にちなんで名づけられた「山猫軒」のレストランで遅い昼食を摂る。

昼食後、横にある花巻市街や昨日登った早池峰山が見える展望台に行く。

天気がよければ遠くには岩手県の名山「岩手山」も見えるそうである。

記念館を後に、花巻空港への帰途、農学校を退職した賢治が農民たちを集めて農業技術や農業芸術論などを講義するために設立した「羅須地人協会」へ立ち寄る。
現在は県立花巻農業高等学校地内に移築復元されている。
残念ながら、コロナ禍のため、現在は閉館されており、フェンスの外から見学するだけである。


今日の観光をすべて終了し、午後3時半過ぎ、花巻空港へ戻る。
FDA17:30発の飛行機に乗り、午後6時半過ぎ名古屋空港へ無事到着し解散する。
今回は、出かける前から天気を心配しながらの山行であった。
しかし、幸いなことに栗駒山、早池峰山とも大した雨にも降られず、時々薄日も差す天候に恵まれ、予定通りの山行が出来た。
東北の山の紅葉ともに、下山してからのいで湯も楽しめた山行であった。
また、最終日に歩いた奥州藤原氏ゆかりの平泉と花巻の宮沢賢治ゆかりの地も久し振りに訪れ、懐かしい思いで巡ることが出来き、楽しい旅であった。
山遊人
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