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山遊人の徒然日記

山と写真をこよなく愛するおじさんのブログです。 山行記録や旅日記また花の写真などを中心によしなし事を載せていきます。 同好の方がみえましたらお立ち寄り下さい。

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堀川七橋を巡る

「堀川七橋」を巡る

5月の連休が明け、平常の日常生活が戻ってきた。
まだ新型コロナウィルスの感染拡大による「緊急事態宣言」が全国に出ている。
地域によっては大分感染者の減少傾向がみられるようになり、一部では自粛の縮小も目につくようになった。
しかし、ここで緩めてしまうと、せっかくの今までの努力が水泡に帰することも懸念される。



堀川には、江戸時代に七つの橋いわゆる「堀川七橋」が架けられた。
南から尾頭橋、古渡橋、日置橋、納屋橋、伝馬橋、中橋、五条橋の七つの橋である。
それらの橋は建て替えられてはいるが、現在でも残っている。
天気が良かったので、家から自転車(ママチャリ)で出かる。
南から順に七橋を廻り、帰りに「四間道(しけみち)」を通り、円頓寺商店街を廻って帰ってくる。
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●【尾頭橋(おとうばし)】

尾頭橋は、旧東海道の宮の渡しから海路で桑名へ渡るのを避け、陸路で桑名へ出るための脇往還であった「佐屋街道」が通っていた。
現在は、伏見通りとの交差点に佐屋街道の碑が建っている。
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●【古渡橋(ふるわたりばし)】

以前は鎌倉街道(小栗街道)がこの辺りを通っていたが、堀川が出来たころにはもう使われなくなっていたそうである。
この橋を渡ったすぐ東に先日寄った「闇之森八幡社」がある。
西に少し行くと、かつて中日ドラゴンズのホームグラウンドであった「中日球場」がある。
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●【日置橋(ひおきばし)】

日置橋界隈は、江戸時代には花見の名所として賑わったところで、当時の様子が『尾張名所図会』などにも残っている。
石造りの擬宝珠と高欄は当時のままであり、和風の欄干の歩道が新設されている。
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●【納屋橋(なやばし)】

納屋橋は、架けられた当時は名古屋城下の南端に当たっており、現在では名古屋一の賑わいである広小路通りがその上を通っている。
現在の橋の欄干中央には、堀川開削の総奉行であった福島正則の紋所、両脇には、三英傑の織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の紋所が飾られている。
現在の納屋橋は、名古屋市の都市景観重要建築物等に指定されている。
堀川浄化プロジェクトの一環として、錦通までの川沿いには遊歩道が整備されている。
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納屋橋の北東角には、登録有形文化財の「旧加藤商会ビル」が建っている。
名古屋の貿易商加藤商会の本社として昭和6年に建築されたレトロな外観のビルは、 戦前はシャム国(現在のタイ)の領事館の役割も果たしていたということである。
このレトロな建物が修復されて現在はレストランやギャラリーに生まれ変わっている。
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納屋橋の北にある錦橋の南西角には、「錦通り」の名前由来の碑が建っている。
それによれば、古今和歌集収録の素性法師の和歌「見わたせば 柳桜をこきまぜて 都ぞ春の錦なりける」から採ったということである。
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●【伝馬橋(てんまばし)】

伝馬橋は、旧美濃街道が通り、堀川界隈ではいちばんにぎわっていた橋だそうである。
五条橋とともに「清須越し」の際に移築された橋である。
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●【中橋(なかばし)】

「五条橋」と「伝馬橋」の間にあったので「中橋」と名付けられたそうである。
現在堀川に架かる橋の中では最も古く、大正6年に架けられた。
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●【五条橋(ごじょうばし)】

五条橋も「清須越し」の際に、清須城下を流れていた五条川に架けらていた橋を移築したため「五条橋」と名付けられたそうである。
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擬宝珠には、堀川が掘削された慶長15年より古い「慶長七年壬刀六月吉日」の銘がある。
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五条橋の西詰めには「美濃街道」が通っており、かつては街道と堀川の間には清須から来た商人の蔵が建ち並んでいた。
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1700年頃この辺りに大火があり、その後延焼を防ぐために幅四間の広い道が作られた。
それが今も残る「四間道(しけみち)」である。
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四家道を通り、帰りに円頓寺商店街に立ち寄る。
長久山圓頓寺の門前町として始まったのが円頓寺商店街である。
名古屋で最も古い商店街と言われている。
昔ながらのアーケードの商店街が残っている。
一時さびれていたが、現在は町おこしで洒落た若者向けの店が軒を並べている。
(現在は、コロナで人通りは少なかった)
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名古屋城築城のために掘削された堀川は、熱田の湊から名古屋城下へ物資を運ぶための役割を担っていた。
江戸時代から現在まで、堀川に架かる「堀川七橋」は、名古屋の街の東西を結ぶ橋として重要な役割を果たしてきた。
昔から橋は交通の要所であっただけでなく、両岸の町の文化をつなぐ「文化の懸け橋」でもあった。
そんな橋物語を想像しながら堀川の橋を巡り、新しいことが学べた楽しい散策であった。

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