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山遊人の徒然日記

山と写真をこよなく愛するおじさんのブログです。 山行記録や旅日記また花の写真などを中心によしなし事を載せていきます。 同好の方がみえましたらお立ち寄り下さい。
No  892

山登りの喜び、再び:竜頭山

5月30日(土)

奥三河:竜頭山(752.6m)

新型コロナウィルス感染拡大防止のために全国に出ていた「緊急事態宣言」が25日に解除された。
まだまだ油断はできないが、1か月半に及ぶ自粛生活にも一応の区切りがついた。
県をまたぐ外出はまだ自粛が続くが、足慣らしも兼ね、約2か月振りに愛知県内の山へ登る計画を立てる。
山仲間2人と一緒に、愛知県奥三河にある「奥三河名山八選」の山の一つ「竜頭山」へ山行する。
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【天気】 晴れ
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【コースタイム】

鳴沢苑駐車場(7:45)~登山口(7:52)~小竜頭分岐(8:52)~竜頭山(9:20/9:25)~大竜頭(9:50)~展望台(10:06)~途中で昼食(10:35/11:00)~竜頭山(11:08)~小竜頭分岐(11:28)~小竜頭(11:39/11:45)~小竜頭分岐(12:00)~登山口(12:37)~鳴沢苑駐車場(12:47)



朝6時前に出発し、湾岸道から新東名道を走って新城ICを出る。
R257を北上し、途中で左折れして当貝津川に沿ってR420を走る。
折立の集落を過ぎ、国道脇の道を左手に少し下って、午前7時半ごろ鳴沢苑の駐車場に着く。
鳴沢苑は現在は営業していないが、10台以上は駐められそうな大きな駐車場がある。
駐車場を少しく下ると、「鳴沢の滝」という落差15m程の滝があるそうである。
きれいなトイレも設置されている。
先客の車が2台駐車している。
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準備をして、8:45、田んぼの中の道を歩き始める。
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5分ほど歩き一旦国道に出て、すぐに小滝バス停前の民家の所から谷に下る。
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すぐに赤い鉄板の橋が架けられた谷を渡る。
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その先で再び谷を渡って尾根に取り付く。
(手前の道標を見逃してしまい、正規の登山道から左へずれた踏み後を登る)
すぐに右手から正規の登山道が合流し、そこからは尾根に沿った道を登っていく。
杉林の道から登るにつれ傾斜の増す雑木林の道に変わる。
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竜頭山へ続く稜線直下の道は結構な急坂で、久し振りの登山で息が上がる。
登山口から約1時間登り、8:52、やっと稜線上に出る。
ここで帰りに寄る小竜頭への道が左へ分岐する。
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右手に折れて、小さなピークをアップダウンしながら竜頭山への道を歩いていく。
20分ほど行くと、地図上にはない林道を横切り、正面の階段を登って竜頭山を目指す。
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分岐から30分弱かかり、9:20、展望のない二等三角点の竜頭山山頂に着く。
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少し休憩した後、その先にある大竜頭を目指す。
小さなピークから急坂を50mほど下る。
最低鞍部から大竜頭の岩峰への急坂を20、30m登り、9:50、石像が祀られた小さな広場がある大竜頭に着く。
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山頂にザックを置き、少し下った展望台へ行く。
5,6分下ると、両側が切れ落ちた岩上の展望台に着く。
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展望台からは、鳳来寺山方面や北設楽の山々が見渡せる。
天気が良ければ南アルプスも見えるそうである。
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大竜頭を後に来た道を戻り、途中の登山道脇で昼食を食べる。
昼食後、再び竜頭山を通過し小竜頭を目指す。
竜頭山から30分ほどかかり、11:39、小竜頭に着く。
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少し先の切り開きからは、平山明神山、大鈴山方面が見える。
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小竜頭から分岐まで戻り、登山口まで急坂を下って、12:47、鳴沢苑駐車場に戻る。
駐車場には観光客の車も含めて7、8台の車が駐まっている。

まだまだ感染が心配されるので日帰り温泉に立ち寄るのはやめ、新東名,湾岸道を走り、午後3時ごろ名古屋へ帰る。



コロナ禍で、いっさい山へ行くことは自粛しており、約2ヶ月振りの山行であった。
この間、近所の散歩や自転車で出かけたりする程度で、体力が大分落ちてしまった。
稜線までの急登や大竜頭の岩峰への急坂の登り下りは、低山にしては結構体力を要した。
竜頭山は、標高は800mにも満たない山であるが、予想していた以上に歩き甲斐のある山であった。
久し振りに緑滴る新緑の中を歩き、改めて自然の中に身を置くことの出来る喜びを実感できた山行であった。
途中で数パーティーとすれ違っただけであったが、たくさんの人が登るような山では密になる心配もある。
今後しばらくはこのような静かな山を探して登りたい。
まだまだ感染拡大防止への配慮を忘れてはならないが、徐々に山行が出来る環境が戻ってくることを願っている。
山遊人

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No  891

鶴舞公園歴史散歩コースを歩く

鶴舞公園歴史散歩コースを歩く

コロナウィルスの感染拡大は、全国的にだいぶ落ち着いてきており、関西圏の大阪、兵庫、京都も緊急事態宣言が解除された。
あと残りは、関東圏と北海道だけになった。
5月いっぱいには日本中の緊急事態宣言が解除されるかもしれない。




名古屋の街の中心にある鶴舞(つるま)公園は、春の桜の季節をはじめとして四季折々にいろいろな花が咲き、市民憩いの公園として親しまれている。
鶴舞公園は、1909年(明治42年)、名古屋最初の大公園として開設され、翌年開催された「第10回関西府県連合共進会」の会場となった。
園内には史跡なども多く点在し、「鶴舞公園歴史散歩」コースが整備されている。
今日は自転車で公園まで行き、園内の花々を楽しみながら歴史散歩コースを歩いてきた。

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JR中央線横の正面入り口を入り、右手の公園協会の建物裏に、第八高等学校(現名古屋大学)寮歌「伊吹おろし」の歌詞を刻んだ碑が建っている。
昭和33年、八高創立50周年を記念して建てられたそうである。
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その東の多目的グランドの北には、昭和3年、昭和天皇即位を祝って開催された「御大典奉祝名古屋博覧会」の時に建てられた建物である「鶴々亭」がある。
園内には「百華庵」という茶席もある。
これらは名古屋における近代和風建築として貴重な存在として残されている。
普段は入ることが出来るが、現在はコロナの関係で閉鎖されており見ることが出来ない。
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鶴々亭の北には鶴舞公園のシンボルである「噴水塔」が建っている。
1910年(明治43年)、第10回関西府県連合共進会を記念して建設されたものである。
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噴水塔の東には同時期に建てられた「奏楽堂」がある。
噴水塔と同じく鈴木禎次氏設計によるもので、 アールヌーボーを取り入れたイタリアルネサンス風に建てられたということである。
老朽化や台風による被害のため一旦は取り壊されたが、平成9年に復元された。
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奏楽堂前のバラ園では、ちょうど色とりどりのバラが満開である。
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バラ園を抜け、これも明治42年の第10回関西府県連合共進会の時に作られた回遊式日本庭園の胡蝶ヶ池にかかる鈴菜橋を渡り菖蒲池の方に行く。
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菖蒲池では紫や白のショウブの花がぼちぼちと咲き始めている。
コロナ禍の大変な世の中であるが、季節の歩みは着実であり、今年も梅雨の季節が近づいていることが感じられる。
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公園東端にある竜ヶ池を廻って歩いていく。
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池の北には、初の愛知県出身の内閣総理大臣となった加藤高明(1860〜1926)を顕彰して、昭和3年に銅像が建てられた。
しかし、昭和19年、像は戦時物資不足により供出されてしまい、現在は台座だけが残されている。
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公園東側の道を南に歩いていくと、東海地方最大の円墳と言われる「八幡山古墳」がある。
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5世紀ごろの古墳と言われており、戦前は国指定の史跡に指定されていたが、戦時中高射砲陣地として頭頂部が削られたりして荒れてしまい、埋葬者などははっきりしていない。
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公園の外周をぐるりと周り、自転車を駐車した場所まで戻る。
約1時間半の歴史散歩コース巡りであった。




鶴舞公園といえば名古屋市内の桜の名所として有名な場所である。
今までは花を見るだけで何となく通り過ぎてしまっていた。
今回はじめてゆっくりと歴史散歩コースを辿って歩いたが、改めて市内に残された貴重な公園であることを実感した。
山遊人

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No  890

「人道の道」を歩く

杉原千畝 「人道の道」を歩く

新型コロナウィルスの感染拡大も、人々の努力によってやや勢いを弱めつつある。
5月14日、関東圏、関西圏、北海道を除いて、当愛知県も含めた各県に出されていた「緊急事態宣言」が解除された。
それに伴い、各学校も徐々に授業ができる態勢に戻りつつある。
しかし、一部の業種には依然として休業要請が出されていたり、県をまたいだ不要不急の外出の自粛要請は続いている。



第二次世界大戦中、リトアニアの領事であった杉原千畝(すぎはらちうね)(1900年~1986年)は、ドイツの迫害によりポーランドなどから逃れてきたユダヤ系の難民たちの窮状に同情し、外務省からの訓令に反して2000通を超す大量のビザ「命のビザ」を発給し、避難民を救ったことで知られている。
千畝は、1900年(明治33年)岐阜県の八百津町で生まれ、父の仕事の関係で少年期を名古屋で過ごした。
名古屋市古渡尋常小学校(現在の名古屋市立平和小学校)に転校し、卒業後、愛知県立第五中学校(現在の愛知県立瑞陵高等学校)に入学・卒業した。
当時の居住地であった現在の名古屋市立平和小学校付近から愛知県立瑞陵高等学校を結び、千畝の功績を称えて「杉原千畝 人道の道」が整備された。

今回は、出来るだけすいている時間帯に地下鉄を利用し、東別院駅で下車して「人道の道」を歩いてきた。

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東別院駅から南へ5分ほど歩くと、「人道の道」の始まる平和小学校がある。
小学校の横に銘板が建てられている。
小学校時代の千畝は、成績優秀で名古屋市などから表彰を受けたということである。
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その先少しの間だが葉場公園まで涼しげなケヤキ並木が続く。
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大津通りに出て、日本特殊陶業市民会館前にも銘板が建っている。
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父の転勤のことなどが書かれてある。
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金山駅を過ぎてさらに南に行き、沢上交差点を渡る。
交差点の角には「沢上」の名前の由来が書かれた古いコンクリート造りのベンチがある。
それによれば、南の高座のあたりに湧水が出る本沢というところがあり、その上だから「沢上」という名前になったということである。
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右手に高蔵公園を見て、すぐ南の交差点を渡る。
JRや名鉄の線路の上を高架橋で渡る。
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レンガ造りの中京倉庫の前を通り、名古屋市体育館の前にも銘板がある。
熱田の高蔵からこの先の雁道を経て第五中学までの道は、五中の生徒がよく通ったので「五中街道」と呼ばれていたということである。
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日本ガイシの本社ビル前を通り新堀川を渡り、高辻南の交差点を過ぎ、雁道商店街を通り抜けていく。
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雁道からは徐々に上り坂になり、上り切ると名古屋経済大学高蔵高校の正門前に出て、突き当りで右折れする。
この辺りがいわゆる「瑞穂ヶ丘」と呼ばれている高台である。
南へすぐの名古屋市立瑞穂ヶ丘中学校の正門前に銘板がある。
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以前は、この瑞穂ヶ丘中学の敷地も五中の敷地であったらしい。
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その南の住宅街は車も通れないような路地の道が続く。
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路地を抜けて東に折れるとすぐに瑞陵高等学校の正門前に出る。
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現在の瑞陵高等学校の前身である「五中」は、県内では伝統のある学校で、多くの有名人を輩出している。
千畝の入学と入れ違いに日本の探偵小説の先駆者である江戸川乱歩が卒業している。
また、哲学者の谷川徹三、経済学者の都留重人なども輩出している。

約10年間を名古屋で過ごした千畝の功績を称え、2018年(平成30年)、出身校の瑞陵高等学校の正門横に、「センポ・スギハラ・メモリアル」が整備された。
(校門外にあるので出入りは自由である)
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4つのゾーンで紹介されており、ビザリストを復元した陶板や千畝の生涯などをまとめたパネルなどが展示されている。
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施設内には、ビザを渡す千畝とユダヤ人家族のブロンズ像(等身大)も建てられている。
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千畝の残したものとして、2012年、イスラエル大使館から瑞陵高等学校に、平和の象徴としてオリーブの木が送られたそうである。
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帰りに、北へ10分ほど行った名古屋市立大学滝子キャンパスに立ち寄る。
ここは、かつて第八高等学校(現在の名古屋大学)があった場所である。
何か史跡はないかと立ち寄ってみるも、正門を入った所に「八高古墳」があり、それにわずかに「八高」の名を留めているだけである。
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約6Km強あり、ぶらぶらと歩いて2時間ほどかかったが、杉原千畝の足跡を辿りながら心地よい汗をかいた一日であった。
なお、以前訪れたたことがあるが、生誕地の岐阜県八百津町の「人道の丘公園」には「杉原千畝記念館」がある。
このコロナ禍が終息したら、また一度訪れてみたいものだ。
山遊人

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No  889

堀川七橋を巡る

「堀川七橋」を巡る

5月の連休が明け、平常の日常生活が戻ってきた。
まだ新型コロナウィルスの感染拡大による「緊急事態宣言」が全国に出ている。
地域によっては大分感染者の減少傾向がみられるようになり、一部では自粛の縮小も目につくようになった。
しかし、ここで緩めてしまうと、せっかくの今までの努力が水泡に帰することも懸念される。



堀川には、江戸時代に七つの橋いわゆる「堀川七橋」が架けられた。
南から尾頭橋、古渡橋、日置橋、納屋橋、伝馬橋、中橋、五条橋の七つの橋である。
それらの橋は建て替えられてはいるが、現在でも残っている。
天気が良かったので、家から自転車(ママチャリ)で出かる。
南から順に七橋を廻り、帰りに「四間道(しけみち)」を通り、円頓寺商店街を廻って帰ってくる。
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●【尾頭橋(おとうばし)】

尾頭橋は、旧東海道の宮の渡しから海路で桑名へ渡るのを避け、陸路で桑名へ出るための脇往還であった「佐屋街道」が通っていた。
現在は、伏見通りとの交差点に佐屋街道の碑が建っている。
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●【古渡橋(ふるわたりばし)】

以前は鎌倉街道(小栗街道)がこの辺りを通っていたが、堀川が出来たころにはもう使われなくなっていたそうである。
この橋を渡ったすぐ東に先日寄った「闇之森八幡社」がある。
西に少し行くと、かつて中日ドラゴンズのホームグラウンドであった「中日球場」がある。
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●【日置橋(ひおきばし)】

日置橋界隈は、江戸時代には花見の名所として賑わったところで、当時の様子が『尾張名所図会』などにも残っている。
石造りの擬宝珠と高欄は当時のままであり、和風の欄干の歩道が新設されている。
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●【納屋橋(なやばし)】

納屋橋は、架けられた当時は名古屋城下の南端に当たっており、現在では名古屋一の賑わいである広小路通りがその上を通っている。
現在の橋の欄干中央には、堀川開削の総奉行であった福島正則の紋所、両脇には、三英傑の織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の紋所が飾られている。
現在の納屋橋は、名古屋市の都市景観重要建築物等に指定されている。
堀川浄化プロジェクトの一環として、錦通までの川沿いには遊歩道が整備されている。
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納屋橋の北東角には、登録有形文化財の「旧加藤商会ビル」が建っている。
名古屋の貿易商加藤商会の本社として昭和6年に建築されたレトロな外観のビルは、 戦前はシャム国(現在のタイ)の領事館の役割も果たしていたということである。
このレトロな建物が修復されて現在はレストランやギャラリーに生まれ変わっている。
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納屋橋の北にある錦橋の南西角には、「錦通り」の名前由来の碑が建っている。
それによれば、古今和歌集収録の素性法師の和歌「見わたせば 柳桜をこきまぜて 都ぞ春の錦なりける」から採ったということである。
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●【伝馬橋(てんまばし)】

伝馬橋は、旧美濃街道が通り、堀川界隈ではいちばんにぎわっていた橋だそうである。
五条橋とともに「清須越し」の際に移築された橋である。
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●【中橋(なかばし)】

「五条橋」と「伝馬橋」の間にあったので「中橋」と名付けられたそうである。
現在堀川に架かる橋の中では最も古く、大正6年に架けられた。
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●【五条橋(ごじょうばし)】

五条橋も「清須越し」の際に、清須城下を流れていた五条川に架けらていた橋を移築したため「五条橋」と名付けられたそうである。
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擬宝珠には、堀川が掘削された慶長15年より古い「慶長七年壬刀六月吉日」の銘がある。
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五条橋の西詰めには「美濃街道」が通っており、かつては街道と堀川の間には清須から来た商人の蔵が建ち並んでいた。
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1700年頃この辺りに大火があり、その後延焼を防ぐために幅四間の広い道が作られた。
それが今も残る「四間道(しけみち)」である。
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四家道を通り、帰りに円頓寺商店街に立ち寄る。
長久山圓頓寺の門前町として始まったのが円頓寺商店街である。
名古屋で最も古い商店街と言われている。
昔ながらのアーケードの商店街が残っている。
一時さびれていたが、現在は町おこしで洒落た若者向けの店が軒を並べている。
(現在は、コロナで人通りは少なかった)
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名古屋城築城のために掘削された堀川は、熱田の湊から名古屋城下へ物資を運ぶための役割を担っていた。
江戸時代から現在まで、堀川に架かる「堀川七橋」は、名古屋の街の東西を結ぶ橋として重要な役割を果たしてきた。
昔から橋は交通の要所であっただけでなく、両岸の町の文化をつなぐ「文化の懸け橋」でもあった。
そんな橋物語を想像しながら堀川の橋を巡り、新しいことが学べた楽しい散策であった。

山遊人

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No  888

信長ゆかりの史跡巡り

織田信長ゆかりの史跡巡り

新型コロナウィルス感染拡大による「緊急事態宣言」が5月31日まで延期された。
まだまだ外出自粛規制が続きそうである。
現在NHKの大河ドラマでは、明智光を主人公とした「麒麟がくる」が放映されている。
ドラマの中には、尾張の戦国大名であった織田信長もよく登場する。



過日、気分転換を兼ねて、自転車で大須界隈の信長ゆかりの史跡を巡った。
過密を避けるため、人出が少ない時間帯に出発した。

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最初に金山駅の北西中区古渡にある「闇之森(くらがりのもり)八幡社」を訪れる。
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名古屋の街中にあるにもかかわらず、名前のとおり境内には木々が鬱蒼と茂っており街中とは思えない静けさである。
創建は、一説では「源為朝」といわれる歴史のある古い神社である.
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境内には為朝の武具を埋めたという「鎧塚」が建っている。
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また、八代将軍「吉宗」と対立した七代尾張藩主「徳川宗春」の頃、この森で遊女と畳職人との心中未遂事件「名古屋心中」があり、その事件を題材にした浄瑠璃が大当たりをしたことでも知られている。
境内には赤鳥居の稲荷社もある。
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八幡社から少し北に行った所にある「東別院」の境内には織田信長の父信秀が建てたという「古渡城址」がある。
境内南西隅に碑が残るだけで、当時の面影はない。
信秀は住んでいた「那古野城」を信長に譲った後ここを居城とした。
信長はここで元服をしたそうである。
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別院のすぐ裏には二代尾張藩主「光友」が、処刑されたキリシタン200人を弔い建立した「永国寺」がある。
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すぐ横には処刑跡地もある。
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たくさんの仏壇屋が並ぶ門前町通りを北上し、門前町の交差点を過ぎた伏見通り沿いには「本願寺西別院」がある。
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「葛飾北斎」が、境内において120畳敷の紙に大達磨を描くという興行を行ったという記録があり、絵そのものは戦災で失われてしまったということである。
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大須の交差点を過ぎて、すぐ左手には「大須観音」として有名な「真福寺 寶生院」がある。
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大須観音は、もともとは岐阜羽島の「大須」にあったがものが移転をされ、現在は「日本三大観音」の一つである。
節分恵方観音である「名古屋四観音」の中心観音としても知られている。
また、境内には国宝「古事記」の最古の写本が所蔵されている「真福寺文庫」がある。
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アーケードある大須商店街を東に行った所には「万松寺」がある。
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万松寺は、徳川家康の命による名古屋城築時に、いわゆる「清州越し」によって清州城下から移転した寺院である。
信長の父信秀の葬儀がここで行われた。
その葬儀の時に信長が、仏前に抹香を信秀の位牌に投げつけたという言い伝えでも有名である。
また、徳川家康が、人質として駿河の今川へ行く前の幼少期3年間をここで過ごしたということである。
大須からさらに北上し、矢場町で若宮大通りを渡り、少し西へ行くと信長の守役であった「平手政秀」を弔った「政秀寺(せいしゅうじ)」がある。
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政秀は、若き日の信長の素行不良を諫めるために切腹して果てた。
その政秀の菩提を弔うために信長が建てたのが政秀寺である。
政秀寺のすぐ横には、「若宮八幡社」がある。
若宮八幡社は、文武天皇の時代に創建され、徳川家康が名古屋の総鎮守としてこの地に移転した神社である。
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名古屋市中区の古渡から大須にかけては、江戸時代名古屋の城下町の中心であったので神社仏閣が多い。
これらの神社仏閣や史跡をゆっくりとめぐりながら歩いてみるのも面白い。
山遊人
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