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白鳥庭園のスイセン
2008/01/27(Sun)
1月27日(日) 白鳥庭園のスイセン

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ここ2、3日冬型気圧配置が強まり、名古屋でも氷点下の日が続いている。
今日は風もおさまり、いい天気になったので、ぶらぶらと朝の散歩も兼ね、白鳥庭園へ写真を撮りに行く。
「スイセンが満開」と新聞に載ったせいか、朝早くからカメラマンが結構多く来園している。
氷点下に冷え込んだため、庭園内の池には氷が張っている。
池のほとりの枝垂桜の下にある白いスイセンが満開である。
ここのスイセンは例年早くから満開になる。 

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黄色のロウバイの花も満開である

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カモメが氷の張った池の上で休んでいる

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名物になった雪吊が池に映っている


 帰りに白鳥公園へ出て、堀川沿いに歩いていくと、堀川に設けられた柵にカモメがずらっと並んで、面白い風景である。
いつも誰かがえさを与えるのでここに群がっているらしい。

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この白鳥公園、白鳥庭園のあたりは私の散歩コースであるが、このあたりは歴史的な遺跡もたくさんあり、皆さんも暇があったら一度歩いてみてはいかがですか。

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日本百名山ブームを考える
2008/01/23(Wed)

1月23日(水) 日本百名山ブームを考える

昨日は、暦の上では一年でいちばん寒いといわれる大寒であった。
今年の冬は雪が少なく、まだ名古屋では積雪を観測していない。
しかし、日の長さは少しずつ着実に長くなり、春の足音が一歩一歩近づいてきていると感じるこの頃である。

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この頃は、深田久弥が著した「日本百名山」に惹かれ、全山登頂を目指す方が沢山みえる。
確かにこの本は、山登りを趣味にしている人にとっては素晴らしい本だと思う。
彼はこの本の中で、選定の基準として、第一に「山の品格」、第二に「山の歴史」、第三に「山の個性」を挙げている。
いずれの山も、彼の五十年に及ぶ登山歴の中から選び出された日本を代表する山々であり、彼の山に対する深い愛情が滲み出ている文章で綴られている。
この本を読んで山に憧れを持った人も沢山いるであろう。 
山に関する文学のジャンルを確立した点においても、また、これから山を目指す人にとって大きな目標を作ってくれた点においても、画期的な本であることは間違いない。
私も学生時代に、この本や志賀重昂の「日本風景論」などを読み、、ここに載っている山をどれくらい踏破できるか目標としたことがあった。

最近では「深田クラブ」なるものもでき、「深田百名山」に足して「二百名山」を、さらに、日本山岳会が「三百名山」を選定している。
また、田中澄江が「花の百名山」を著し、山の自然(花々)の美しさを世の中に知らしめてくれた。
一方、本多勝一は、著書「山を考える」の中で、「あえて深田版『日本百名山』を酷評する」として、最近の百名山ブームを「メダカ現象」として批判している。

年をとってきたせいか、はたまたへそ曲がりの性格のせいか、最近では私も、百名山ブームで荒らされた山よりも、たとえ標高は低くても、藪山であっても、余り知られていないひっそりとした山、登山者が少ない山に興味が移りつつあるように思う。
他人の選んだ山でなく、それぞれが自分の尺度で山を選び、自分自身の百名山を持つことも必要ではないかと思う。
まあ、たかだか趣味、遊びの世界であるから、そんなに大げさに考えず、各々が好きなスタイルで登ればいいのだろうけれど……

日本百名山等の一覧表を作ったので参考にしてください。(エクセルファイルです) 

日本百名山

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山の遭難事故に関して
2008/01/15(Tue)
1月15日(火) 山の遭難に関して

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最近は親殺し、子殺しなど悲惨な事件が多い殺伐とした時代ですが、今日の中日新聞の「中日春秋」に、先日吾妻連峰で遭難して、12日振りに奇跡的に無事生還された方について書いてありました。
親を思う心が、生への執着を繋ぎとめたそうです。いい話ですので載せておきます。

1/15中日新聞朝刊「中日春秋」より

英国の登山家ジョージ・マロリーは米紙との取材の際に「なぜエベレストに登るのか」と聞かれて、「そこに山があるから」と答えている。登山の魅力は本来、一言では言い表せないのだろうが、今や名言として広く知られている。

▼埼玉県羽生市の中村雅之さん(55)は登山歴二十五年。エベレストではなくても、山の魅力と同時に怖さも知っていただろうが、山形、福島両県境の吾妻連峰で消息を絶った。誰もが死を意識したはずだが、十二日ぶりに自力で下山した。足に軽い凍傷と脱水症状がある程度で、奇跡的な生還である。

▼燃料や食料は入山五日目になくなり、その後は装備を捨てて身軽になりながら毎日約七時間歩き、夜はテントの中でマットにくるまっていた。本人も「まず、間違いなく駄目だと思った」というのもうなずける。

▼それでも下山をあきらめず、雪の中をさまよい続けた。体力があっただけでなく、気力が生還への道を切り開いたと言ってもいい。介護を受けている母親のことを考えると、まだ死ねないと思ったのだ。下山後、「安月給だし母に大したことはできないが、自分がいるといないでは違う」と話している。だから登山はもうやめる。

▼人は「自分のため」ではなく「他の人のため」と思えたとき、奇跡的な力を持つことができるのだと信じたくなる。息子に先立たれていたら、中村さんの母親は生きていく気力を失っていたかもしれない。

▼「何があっても生きていてほしい」。子どもへの親の共通の思いを一言で言い表せば、こんな言葉が頭に浮かぶ。
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エベレスト初登頂のヒラリー氏逝く
2008/01/12(Sat)
1月12日(土) エベレスト初登頂のヒラリー氏逝く

ヒラリー
ヒラリー氏とシェルパのテンジン

ニュージーランド政府は、11日、世界最高峰のエベレスト(中国名・チョモランマ、8、848メートル)に世界で初めて登頂したニュージーランドの登山家エドマンド・ヒラリー氏が死去したと発表した。88歳だった。

1953年、英国の第9次エベレスト遠征隊に参加。他の隊員が高山病で引き返すことを余儀なくされる中、ネパールのシェルパ民族のガイド、テンジン・ノルゲイ氏(故人)とともに、南東稜から最後の難関の垂直に近い岩場を乗り越え、5月29日午前11時半、頂上に到達した

 また、エベレスト登頂をめぐっては、テンジンさんと、どちらが先に頂上に立ったかも論議を呼んだ。ヒラリーさんはテンジンさんが86年に亡くなるまで沈黙を続け、99年に著書で初めて自分が先だったと明かした。 

ヒラリー氏は、エベレスト初登頂者として、私たちの記憶に残っていた有名な登山家であった。
エベレスト初登頂といえば、「そこに山があるからだ」という言葉で有名なジョージ・マロリー氏が先に登頂していたのではないかというミステリーも興味深かった。
1999年に頂上付近で遺体が発見されて、なぞが余計に深まった。
どちらにしても冥福を祈りたい。

また、12月30日に山形、福島両県境の吾妻連峰に入ったまま連絡が取れなくなっていた方(55)が11日午後3時ごろ、福島県北塩原村のスキー場付近に自力で下山した。入山から12日ぶり。

このニュースにも驚かされた。
経験のある方で冷静に判断して行動したことがよかったのだろう。

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初日の出の長者ヶ岳
2008/01/01(Tue)

1月1日(火) 静岡県:長者ヶ岳(1,336m)・天子ヶ岳(1、330m)

今年もどこかに初日の出を見にいこうと思っていたところ、昨年末からの大寒波襲来のため、鈴鹿や岐阜の山は雪で道が難渋しそうなので、太平洋側のどこか暖かそうな山への山行を計画する。
以前、静岡県に富士山の絶好の展望台としていい山があると聞いていた。
ダイアモンド富士で有名な、富士山の西の田貫湖から上がったところにある長者ヶ岳と天子ヶ岳という山である。
いつもの仲間たち3名で、元旦1:30に名古屋を出て、東名を走り、4:30過ぎ田貫湖キャンプ場に到着する。
驚いたことに駐車場には既に2、30台が駐車している。観光バスも駐車している。
初日の出を撮るために来たアマチュアカメラマンである。
さすがに富士山の撮影に有名な場所である。

準備をして真っ暗な中ヘッドランプを着けて5:00に出発する。 
東海自然歩道になっている東側の尾根を登りだす。道幅は広いが、ダラダラ登りの結構しんどい道である。
さすがに冷えて寒い。10cm近くも伸びた霜柱をサクサクと踏んで行く。

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途中で親子連れの3人パーティーを追い抜く。
1時間ほどでベンチのある展望台へ到着する。
やや東の空が赤く染まり始める。
日の出に間に合うよう少し急いで最後の尾根の急登をこなし、6:40長者ヶ岳山頂に到着する。
傘雲がかかった富士山がうっすらと見え始め、右裾の中腹あたりから突然に初日の出が上り始める。
下には田貫湖が小さく光って見える。
今年も元気で充実した山行ができるようにとお祈りする。

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西の南アルプス方面は、うっすらと雪化粧した前衛峰は見えるが、本峰方面は雲に隠れて全く見えない。
それにしても冷え込んでいる。持参の腕時計の温度計は-10℃近くまで下がった。
仲間の女性の髪の毛についた汗がツララになって垂れ下がるほどである。
3人の親子連れや関東の方が後から登ってくる。
写真を撮ったり、暖かいコーヒーを飲んで身体を温めたりして、7:20天子ヶ岳へ向けて出発する。
いったん下り、再び登り返して40分ほどで、山頂の標識がなければ、気が付かないようなだだ広い山頂に到着する。
頂上は展望が利かないので、少し横の切り開きのある展望台で食事を摂る。
ここからの富士山の眺めも雄大である。

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食事をしていると、自転車を担いだ方が登ってみえられる。
地元の方で、下りを自作のマウンテンバイクで下りるということである。
来た道を引き返して下る予定であったが、その方のアドバイスもあり、白糸の滝方面へ下り、周遊することにする。
朝日があたる暖かい東側斜面を駆け下り、50分ほどで林道に出る。
ここから田貫湖までは林道を1時間ほどかけて歩こうと思っていたところ、先ほどのマウンテンバイクの方が下りてみえ、そこに止めてある車で帰るので一緒に田貫湖まで乗せて行って下さるということで、お言葉に甘えることにした。
お陰で10分ほどで田貫湖畔の国民休暇村に着くことができ、大いに助かり感謝をする。
湖畔の木道上にある富士山の絶好の撮影ポイントでは、湖に富士山が写り、逆さ富士がきれいである。

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10:20木道を歩いて駐車場に到着し、富士宮の日帰り温泉で身体を暖めて、15:30帰名する。

以前から行ってみたいと思っていた山であり、今年初めての新年の山行で、富士山の眺めも充分に堪能することができ、大いに満足が出来た山行であった。

折りしも夕方のニュースによれば、北アルプスの槍ヶ岳を目指していた登山者4名が槍平小屋でテントを張っていたところ、新雪雪崩に埋まり死亡するという遭難事故が発生したということである。
今年の新年の山は、突然の大寒波の襲来で山は大雪が予想され、これ以上遭難事故が起きないよう祈らずにはいられない。

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